April 27, 2012
April 25, 2012
イスタンブールからエドレミッツ・エーゲ海へ2012顛末記
ご無沙汰で、申し訳ありません。
帰国しました。
長文ですが、読み物として、お楽しみください。
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あまり良いことではないのでしょうが、私には、嫌いな数字がある。42。
おふくろが10年前、倒れたのが、ホテルの42号室。
何か悪いことが起こる予感がするし、悪いことが起こってしまう。
自身ホテルで泊まるときも、42号室を何度か替えてもらったことがある。
42の呪い、とでも言うのだろうか?
イスタンブール、落ち合うイラン人社長と連絡が取れない。
空港で会う予定だった前日、メールで イスタンブールのホテルに
すでに宿泊していることがわかった。
当日、朝、「では、私がそのホテルへ行きます」とメールで約束した。
そのホテルの電話番号 xxxx4242。 宿泊室、142号室。
いやな予感がした。
イラン人社長と、携帯電話の番号を取り交わした。
時間の予定を 昼の1時~2時と、電話をするも、繋がらない。
ホテルの受付に伝言をお願いした。
私は、友人メメットさんの会社から、運転手にホテルまで送ってもらった。
道は、混んでいた。特に反対側は、全く動いていなかった。
予定より遅れた。2時に電話がかかってきた。
「大丈夫ですか?」若い女性だった。「なぜ?」
不安だった。
ホテルには、2時半に着いた。
警備員がいるコンベンションセンターホテルだった。
「どうも」若い女性が出迎えてくれた。
「はあ」
すると、後ろから、おじさんとおばさんが出てきた。
「こちらが、マゼットさんです」
彼女は、通訳だった。
イラン人社長は、英語がしゃべられなかったのだ。
やっと、納得した。
医療用電球の商談は、スムーズに進んだ。
新規受注もあった。
4時半、打ち合わせは、終わった。
今晩の飛行機は、夜8時。十分な余裕を持っていた。
タクシーに乗り込み、イスタンブール・アタチュルクに向かった。
途中、運転手さんにお願いして、ブティックに寄ってもらって、
お客さん用のお土産を買った。
トルコのタクシーは、距離のみ。時間がいくらかかっても、金額に響かない。
5時、タクシーは空港に着いた。
スーツケースと、イラン人社長にもらった絨毯壁掛けをもって、チェックイン
しに、空港内に入った。
ここで、疑問がわいた。
「飛行機の予定が、掲示板にない」
なぜだ。インフォメーションの女性に聞いた。
「あなたの飛行機は、ここにはありません。アジア側の飛行場に行ってください」
2年前は、ここから飛んでいた。
そういう既成概念がいけなかった。
きちんと、下調べすべきだった。
「ここから、15分です」
ちょっと安心して、タクシーに乗り込んだ。
「アジア側の飛行場に、急いでいってください」
「ところで、何分で行きますか?」
「そうだね、通常、50分」
フィフティ と フィフティーンの トルコ人、いつもの間違えだった。
それでも、あと2時間半はある。ゆうに、余裕のはずだった。
今晩、8時の飛行機は、次の目的地、エーゲ海エドレミッツ。
ここには、週一便しか飛行機が飛んでいない。
だからこそ、この日程を組んだ。
タクシーは、イスタンブール ヨーロッパ側から、アジア側へ向かう。
ところが、昼間見たあの渋滞に巻き込まれた。
時計は進む。
6時。6時半。7時。いまだ、アジア側への橋も渡っていない。
「これは、まずい」
友人のメメットさんに電話した。
「メメット、いま、大渋滞。最悪、飛行機に乗れないかも知れない」
「ケンジ、その時は、どうするつもりなんだ?」
「方法は、ひとつ。夜行長距離バスで、エドレミッツに向かう」
「運転手に電話を替わってくれ、ケンジ」
運転手に携帯を渡した。
運転手は、メメットと話しをした。
ハンドルは、急に右にきられた。
「ケンジ、いいか。もうだめだ。バスターミナルに向かへ。飛行機は完全に乗れない。
大変だが、長距離バスで行け」
メメットは、そう答えた。
42の呪いだった。
タクシーは、5000円の旅を終え、長距離バスターミナルOTOGA についた。
26-7年前、1980年代を思い出した。
「50歳のバックパッカーだ」
なぜか、すがすがしかった。
見よう見まねで、客引きのお兄ちゃんに連れられて、
エドレミッツ行きのバス乗り場に入り、言われるまま、
2500円の夜10時30分発の切符を買い、荷物置き場に通され
スーツケースと絨毯壁掛けを置く。
急に、雨が降ってきた。雨は トルコ語で「ヤム」という。
完全に 1980年代の自分になっていた。
バスターミナルの中を散策し、ロカンタ大衆食堂を何軒も見て歩いた。
昔と違うのは、インターネットカフェの存在。
エミンさんがエドレミッツの飛行場に 夜10時待っていてくれているはずだった。
それなのに、エミンさんに連絡がとれない。
しかたなく、エミンさんの会社のメールに 飛行機に乗り遅れたという
謝りのメールを入れた。
予定では、朝6時30分着、ということも、但し書きにした。
メールをしていると、電話が鳴った。
メメットさんからだった。
「ケンジ、悪いことをした。僕がチェックしていれば、こんなことには
ならなかったのに。今、ここ、バスターミナルに着いた。ケンジ、今どこにいる?」
私は、雨の中を、METROバスの切符売り場に走った。
メメットは、ずぶぬれになって、待っていてくれた。
「ケンジ、悪かったなあ。切符はどうした?ケンジの切符は、ITで、買ったよ。
もう買ったのか。じゃあ、ITはキャンセルする」
メメットさんは、切符まで、用意してくれていた。
二人、ロカンタに入った。
「ケンジ、好きなものを食え。コーラか?オレンジか?
好きなものを食え」
「オレは、いい。家で食うから」
と私だけに 料理を取ってくれて、メメットは食べない。
支払いも、メメットは許さない。
「ここは、イスタンブールだろ。東京じゃない」
10時近くまで、一緒に居てくれた。
まだ止まない雨の中、メメットは、スーツを濡らしながら
帰っていった。
夜10時30分。
定刻通り、バスは、出た。
私の横は、100kg近いおじさん。
腕は、私の胸に落ちてくるは、寝息は立てるは、
なかなか、休まらない。
朝2時頃、バスは揺れだした。
大きく揺れる。
よくよく見ると、フェリーの中だった。
朝5時30分。
初めての休憩所。
トイレ休憩。トイレは50円。
チャイも50円。
ちなみにドライブインで売っている米は、5Kg で800円、安い。
学生時代は、お金もなく、ドライブインでも、人の食べているのを見ているだけだったが
今は、買える。けれど、若くない。疲れて、チャイも半分しか飲めない。
6時過ぎ、再び、バスは走り出した。
ようやく、日の出になってきた。
バスは、山の中を走る。
予定時刻 6時30分は、とうに過ぎている。
「エミンさんは、待ってくれているだろうに、悪いなあ」
車掌さんが、寄ってきた。
「エドレミッツ?」
「Yes」
バスが、エドレミッツについに着いた。
朝8時30分。
バスの窓から、見えた。
「エミンさんだ」
バスを降り、すぐ、抱きついた。そう、抱きついたのだ。
「有難うございます。それに、すみませんでした」
「何言ってんの。良く来てくれましたよ」
完全に、涙ものだった。
10時間の長旅は、エミンさんと、光り輝くエーゲ海が
待っていてくれた。
2日間、正確には1日と半日は、あっという間だった。
それは、それは、おもてなしだった。
2日目の夜、エドレミッツ飛行場。
この日の飛行機のフライトナンバーは、142。
そう142,だった。
チェックインしたら、荷物の重量オーバー。
2,000円の超過料金。
「またかよ!?」
夜、9時45分。
何もなく、飛行機、プロペラ機はエドレミッツを飛び立った。
イスタンブール着、11時予定。
142号は、遅れるか?と思いきや、10時30分。
30分も早くイスタンブールに着いてしまった。
42の呪いから、解き放たれたか?
イスタンブール、バッゲージクレーム。荷物取り場。
みんな、荷物を持って帰っていく。
30分。イラン人社長からもらった絨毯が出てこない。
回転は、終わってしまった。
事務所に駆け込む。
「荷物は出てこないんだけど」
到着から、1時間。
やっと、別のところから、絨毯を持って、係員が現れた。
もう、時計は、次の日を指していた。
「これから、ヨーロッパ側のホテルまで、1時間のタクシーか」
まだ、42の呪いは、終わっていなかった。
日が明けた。
ショッピングセンターで、また、土産を買い込んだ。
それを持って、帰国の途へ。
そう、今日は、4月21日。
忌み嫌う42の日だった。
ホテルから、飛行場へ向かう。
アタチュルク・インターナショナルエアーポート。
間違いない。
さあ、帰るぞ、とチェックイン。
と、思いきや、機械の故障でなかなか、チェックインできない。
やっと、チェックインしようとすると、係員が、「NO」
荷物3つで 重量が、38kg。
「18kgオーバー」
「課徴金、10万円?」
おいおい、42の呪いか?
「わかった、チェックインはやめる。手荷物に詰め替えるから」
と、スーツケースから、できる限りのものを取り出し、
ビニール鞄に詰め替える。
今度は、ビニール鞄がパンパン。
ビニール鞄だけで、15kg。
それを、リュックのように背中に担ぎ、まるで、バックパッカー、
いや、山登り。
「OK,22kg。許してあげよう」
女性係員は、どうにか、チェックインさせてくれた。
白いスーツに、黒ビニール鞄を背負った不思議な人物。
税関から、出国検査まで、どうにか、平静を装って、出国した。
「まるで、映画のミッドナイト・エクスプレスmidnight express」
42の呪いシリーズは、これで、終わった。
また、終わりにしたく、皆さんに私の42の話を書きました。
こうすることで、42の呪いは解き放たれることを意味して書きました。
42、お世話になりました。
April 13, 2012
日航復活は、間違いない
朝10時の福岡発、羽田行きの日航に乗る。
席の予約をしていなかったもので、直前に座席をとる。
51E。最後方に近い席。混んでいた。
隣は、俳優の伊勢谷さんのようないい男だった。
JALの機内販売でお土産を買っている。奥さんへのプレゼントか?
いい男は違うなあ、と感心していた。
飛行機は、羽田に着く。
いい男の横、通路を挟んでの横に、見たことのある顔があった。
すると、向こうから、会釈された。
「えっ、植木社長。こんな変な席に、日航の社長が。。。」
伊勢谷さんのようないい男は、社長秘書だった。
昨日、盛和塾例会が福岡であった。
稲盛塾長の講話をお聞かせ頂き、さらなる経営をせねば、と感じていた。
そこで、植木日航社長が、お話された。
私は、心にしみいる経営者の言葉と感じ入り、宴会の終わりに
「いい話でした」と名刺交換した。
その方が、偶然にも、横にいた。
それも、エコノミー席に。
私は、「明日の日航」を植木社長に見た。
「植木社長はユーモアもあり、人格者だと、元パイロットのSN君から
聞いております」
「SNは、ごますったな」
二人で笑った。
帰り際に、「植木社長、SNのこと、よろしくお願いします」
とお願いして、別れた。
SNくん、良い上司に恵まれたね。
私も負けずに、頑張りたい。
April 01, 2012
医師Wくんの言葉
32年ぶりの再会でした。
僕は、38年ぶりと思っていたら、
32年前に、ちょこっと、会っているそうです。
医師のWくんに お会いしました。
非常に楽しかったです。
今日の仕事も考えず、最終電車まで、
ホテルで話ししました。
子供の頃の私は、勝ち気でしたが、
Wくんは、「けんちゃんと、Kくんの運動場でのけんか
壮絶だったよね」
と言われたのですが、全く覚えておりません。
人の記憶は、それぞれに 違う物だと まじまじに
思いました。
脳への映像としての、張り付き方の違いでしょうか。
医師Wくんの言葉
「母親の孝行、面倒が見られないで、患者さんの世話、
面倒が見られるわけない」
心に、残りました。
今月も、トルコに行く私は、徳島に帰れません。
来月帰るからね、母さん。
そんでもって、もう一つのWくんの言葉、
「けんちゃん、まるなったね。ちょっと、やせよな」



